• 電話0595-83-0077
  • 住所〒519-0111 亀山市栄町字萩野1488-215
亀山市にて泌尿器科・腎臓内科を診療する「亀山 腎・泌尿器科クリニック」についてご案内します。鈴鹿市からもアクセス良好です。

院長雑感 2015年

認定医と専門医 2015/12/11

「認定医」や「専門医」は、様々な学会が認定する資格で、何年かの実務経験、学会への加入期間、症例報告の提出、筆記試験、面接などをパスして認められる肩書です。大学が研究論文を審査して認める「博士号」とは、また違う制度です。医学系の学会はやや乱立傾向で、しかも学会への入会は「個まで」などと制限されていないので、医者は複数の学会の会員になっていることが多いです(私は6つの学会、1つの研究会の会員です。)

「専門医」と聞くと、何か特別の資格の様に思われるかも知れませんが、泌尿器科専門医の場合は、「泌尿器科診療のための最低限のスキルを備えている証明」くらいに考えて、大きな間違いではありません。実際、6年以上のキャリアがあって泌尿器科診療を行う医者が「泌尿器科専門医でない」ことは少ないです。つまり、世の中の泌尿器科医の大半は「泌尿器科専門医」なのです()。

資格は、その取得だけではなく、それを仕事に役立て、勉強を続けて一定のレベルを維持することが重要で、その本質だと思うのですが、これは、医師に限らず、どんな仕事にかかわる資格でも同じでしょう。また、目標や努力の結果を見える様に(資格として)明確にしておくことは、自らが努力を続けるためのモチベーションにもなると思います。

友人に難関の「気象予報士」の資格をもつ耳鼻科医がいます(アクティブで優秀なドクターです。)ある日、彼の自己紹介文の肩書に「耳鼻科専門医」より先に「気象予報士」と書かれているのを見て、彼のアイデンティティでは「気象予報士」が「専門医」より上なのだなぁ、と驚いたことがありました(大抵、医者は自分が医者であることに多大なプライドを持っているものなので。)泌尿器科専門医より先に、人に示せるものがない自分は、なんとなく彼を羨ましく思いました。

日本泌尿器科学会ホームページ(2015/12/5 閲覧)によると、正会員8,223名のうち、泌尿器科専門医は6,514名です。

簡単に「絆」って言うな! 2015/11/11

名古屋で勤務医をしていたときの話ですが、最近、ふと、危篤の連絡をした家族から「(たとえ死んでも)もう、連絡してこなくて良いですから」と言われた50代の男性のことを思い出しました。御家族(関東の在住)の話からは、この方は、おそらくは過去に犯罪を犯して、そのために家族に迷惑をかけ続けてきた人だろうと推察されました。

人が誰にも看取られず死んでゆくのには、人それぞれ、様々な理由があってのことだと思います。心疾患などの予期せぬ急病・急死以外に、家族や親族とのかかわり、社会や地域とのかかわりが無くなってしまって、或いは自ら望んでかかわりを断って最期を迎える方もおられるでしょう。その方々を蔑む気持ちはありません。

「強い人の結びつき」を意味する「絆」という言葉。昨今、マスメディアによく登場しますが、例えば災害被災者への同情心は、はたして「絆」なのでしょうか?「絆」という言葉のもとに連帯感を感じることを否定するつもりはありませんが、恋人、夫婦、親子、同じ地域に生まれた、同じ日本人というだけで感じられる連帯感を「絆」と言うことには、少し違和感を感じます。

「絆」は「自然発生して、いつでもそこにあるもの」ではなく、互いに努力して作られるものであると思います。親、子、配偶者、友人、恋人、同僚、同じ地域の住民…自分とつながりを持つ人のために何ができるかを考える、行動する。一部で同じ価値観を共有し、また考えの違いを認め合いながら、同じ時間を積み重ねる。そうして「絆」は生まれ、育まれていくものと思います。

「絆」を育むためには、双方向性(お互いが思い合うこと)が必要とも思います。いわば、お互いの積極的な存在確認です。気も使うし、手間も時間も掛かるものですから、これを「煩わしい」と思うこともあるでしょう。しかし、親子ほどの血縁であっても、その努力が無ければ、繋がりはとても脆弱です。入院中の親が危篤状態であることの連絡に「旅行の予定がある」と平気で言う様な息子さん、娘さんは、決して珍しくありません。

一方で、親族のいらっしゃらない患者さんと一緒に手術の説明を聞き、承諾書にサインして下さる「友人」や「隣人」も大勢見てきました。「絆」も努力したものだけが得られるもの、そんな風に僕は思っています。

博士号と留学 2015/10/11

大学院で博士課程を修了し、博士論文の審査に合格するなどすると、大学から博士号が授与されます。医学部では「博士(医学)」、工学部では「博士(工学)」などとなります。博士号というのは、どんな小さなことであっても「これまで明らかでなかった科学的事実を見つけた(証明した)」、と言う証なのですが、昔から、医者にとっての博士号は、「足の裏に付いたご飯粒」と揶揄されています。「取っても食えないが、取らないと気持ち悪い」というのが、その「心」です。

私の大学院での研究テーマは、「薬剤による前立腺癌細胞の制御」でした。大学院時代には、仮説と実験の組み立て方、実験結果の考え方、統計処理、プレゼンテーションの仕方、そして英語論文の書き方など多くを学びました。これらの技能は、大学院への進学がなければ培われなかったことで、今でも論文を読むときや、時々任される講演などで役立っています。

ただ、日本人医師で初めてノーベル賞を受賞された山中伸弥先生は、「医学研究と言うのは、患者の役に立ってナンボ」と、繰り返し述べられています。また、ある先輩は、「(博士号取得後は)後輩の為に、研究費(国や企業から)を取ってきて初めて一人前」とおっしゃっていました。僅か2年足らずの研究で、その後は開業のために自らの精力を傾けることになった私は、これらの言葉を聞くと、「自分の研究は、足の裏のご飯粒程度(自らの能力の為、博士号の為の研究)だった」、と少し複雑な気持ちになります。

先月、優秀な後輩(大学院生)が、留学のために渡米しました。海外で研究を行い、論文を完成させることは、並大抵の精神力、行動力、体力、知力で出来ることではありません。「人の4人に1人はDRD4-R7 という冒険遺伝子を持つ」と言う研究結果があるそうです。未知なるものへの探求心、知的好奇心は、人が人たる所以ですが、ひょっとしたら、彼はこの冒険遺伝子をも併せ持つのかも知れません。おそらくは、日本人に対して大きな差別意識がある米国で、彼が活躍することを心から祈念しています。

佐々木先生、頑張って下さい!

泌尿器科と皮膚科と腎臓内科 2015/09/11

泌尿器科のクリニックでは、皮膚科を併せて標榜、診察することが多いです。これは、以前(明治〜昭和初期)、泌尿器科と皮膚科とが同じ学問領域とされていたことに由来します。抗生物質が未開発の時代、進行した梅毒などの性感染症では多彩な皮膚症状を伴いました。そのため、皮膚科と泌尿器科が同一講座にあることは合理的だったのです。

その後、泌尿器科は、画像診断や麻酔技術、抗生物質などの進歩に後押しされ、より外科的な性格を強くして発展します。三重大学では、昭和37年になって泌尿器科と皮膚科の講座が分離しました。しかし、現在でも性感染症の一部では皮膚症状が中心となるため、泌尿器科クリニックでは皮膚科を併せて標榜することがあるのです。

一方、「腎臓内科」とはどのような診療科なのでしょうか?以前は、消化器科も呼吸器科も循環器科も全て「内科」と標榜されていました。医療機関の広告は、医療法という法律で規制されているのですが、「腎臓内科」という名称は、平成19年になって標榜が認められたものです。

腎臓と言う一つの臓器の疾患でも、腎腫瘍(腎癌)、結石などは泌尿器科、腎炎、ネフローゼ、腎不全(透析)などは腎臓内科、と診療を担当する科が異なります。血尿があって腎臓内科へ受診しても尿管結石が見つかれば泌尿器科を紹介されるでしょうし、排尿障害で泌尿器科へ通院していても蛋白尿が高度であれば腎臓内科へ回されるのはこのためです。

私は卒業後、泌尿器科へ入局し、泌尿器科医として研鑚しましたが、泌尿器科の専門医資格を取得した後、幸運にも赴任した名古屋の病院で腎臓内科を学ぶ機会に恵まれました。手前味噌な話で恐縮ですが、腎臓専門医の資格を持つ泌尿器科医は多くなく、これは自身の「強み」だと思っています。もちろん元々は泌尿器科医ですので、当院での対応が難しい患者さんには、腎臓内科のある総合病院と連携して対応しています。

もし、「腎臓のことが心配だが、自分がどちらの科に受診すべきか判らない」と思われる方がおられましたら、一度、当院へ御相談下さい。

標榜(ひょうぼう)医療機関が、担当する診療科を看板などに掲示、広告すること
入局(にゅうきょく)医師が大学医学部の講座に職員として所属すること

泌尿器科医と内科医、どちらが大変か? 2015/08/11

患者さんの受診理由は様々です。もちろん、何らかの症状やきっかけがあり、それに対する不安があるために医療機関へ赴く訳ですが、その理由は、大きく、「自覚症状がある場合」と「自覚症状が無い場合」の2つに分けることが出来ます。

たとえば、高血圧や高脂血症、糖尿病といった病気は、その病気だけでは強い自覚症状がありません。健康診断の結果で会社から受診を指示されたという方も多いと思います。自覚症状に乏しい患者を診察する内科医は、薬を飲む理由、通院を続ける理由をしっかりと患者に説明できなければなりません。そうでなければ、患者さんは勝手に通院をやめてしまうからです(これでは商売になりませんし、なにより患者さんの健康に不利益です)。

一方、泌尿器科へは、自覚症状(排尿の問題)のために受診される方が大半です。人は1日数回以上排尿しますので、排尿に伴う症状があると、毎日、何度も煩わしい思いをすることになりますし、バス旅行や映画に行くのを諦めたりすることになるかも知れません。そのため、排尿の症状は強い受診動機になります。

自覚症状がある場合、その症状を改善させることが医者の腕の見せどころです。診たてどおり、投薬した薬に効果があって、「先生が出してくれた薬のおかげでスッキリしたわ!」と言われると、天にも昇る気持ちで嬉しくなります。逆に「言われた様に飲んだけどダメ、どうしてなの?」などと言われると、「なんとかしてやりたい」と心から思います。

排尿の症状は血圧や血糖値の様に「数値」で表されませんので、良くも悪くも、患者さんの主観が効果判断基準の大部分を占めます。「ほら、ちゃんと数値が改善しています(だから薬を飲む意味はあるのですよ)」と説明することも、泌尿器科医には難しい場合が多いです。

ところで、「薬が効かない」と言った時の医者の反応をみることは、内科であっても泌尿器科であっても、良い医者を見極める方法のひとつです。再度、症状の様子を聞き、代替の方法・薬を考えてくれるか、同じ薬の継続なら、その理由をきちんと説明してくれるか、患者目線で確認してみて下さい。理由や根拠の説明なく、「とにかくこの薬を続けて下さい!」と言う医者はですよね。

「やらずに後悔するより、やって後悔する方がいい」 2015/07/11

1月19日の開院から、半年が過ぎようとしています。1時間に数人が来院されることも、1時間以上、誰も受診されないこともあります。待合室がガラガラの時間帯に受診された方は、「このクリニックは大丈夫かしら?」と不安になるのではないか、と心配しています(笑)。

診察室で患者さんのお話を伺うと、何ヶ月も前から、ときには数年以上も前から症状に悩まされていたものの、「泌尿器科にかかるのは、これが初めて」とおっしゃる方が少なくありません。多くの患者さんは、悩み抜いて泌尿器科への受診を決断される様です。このような話を聞くと、泌尿器科への受診は、いまだに敷居が高いものなのだなあと実感します。

「恥ずかしい」「年のせいといわれるだけかも」「何をされるかわからない(から怖くていけない)」など泌尿器科受診をためらう理由はいろいろあるでしょうが、受診された多くの患者さんは、安堵の表情で診察室を後にされます(医者の自己満足かもしれませんが、そんな気がしています)。

もし、直接の受診がためらわれるのであれば、かかりつけの先生に相談して、意見を聞かれるのも一つの手です。慣れた先生に相談して、紹介状を書いてもらう、或いは(言葉で)背中を押してもらうのです。実際、当院は初診患者さんの3人に1人が他院からの紹介患者さんです。

なにか物事を決断するときに「やらずに後悔するより、やって後悔する方がいい」という言葉に励まされた方もいらっしゃると思います。「ずっと受診せず、あとで後悔するより、(仮にガッカリする診療だったとしても)受診して後悔する方がいい」少々乱暴ですがこのように考えては如何でしょうか。もし、当院での診療にガッカリしたら、御家族や友人に「あそこは全然ダメ」とふれて回って、ストレスを解消して下さい。

今日は土曜日ですが、この文章が書けるくらい、待合室が空いています(笑)。

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